建築家,白井晟一の展覧会が2011年初めに汐留ミュージアムで開催されます。
彼の名は知らずとも,麻布台の飯倉交差点に建つ「ノア・ビル」設計者といえば頷く人も多いのでは。
戦後の潮流だったモダニズム建築とは一線を画した濃密な作品の数々。「憂い」のある作を残したのは彼以外いないかもしれない。
以前のblogでも触れましたが,汐留ミュージアムは松下電工が手がけているだけあって館内の照明がとても素晴らしいのです。ジョルジュ・ルオーとアンリ・マティスの二人展では,館内の明暗がゆっくり変化したり,宗教画のコーナーで床に十字架のラインがあったり。ステンドグラスの荘厳な美しさはハッと息をのむほどでした。
「建築家 白井晟一 精神と空間」@汐留ミュージアム
■開館期間 2011年1月7日(土)~3月27日(日)
■開館時間 10:00~18:00
■休 館 日 月曜日(祝日は開館)
■入 館 料 大人500円
哲人あるいは詩人と呼ばれ,あるときは孤高あるいは異端と形容され,生前から神話化されていた建築家,白井晟一(1905-1983)。戦後日本のモダニズムの潮流からスタンスを置き,初期の木造建築から黙示的な原爆堂プロジェクト,そして代表作の親和銀行本店から以後の展開に至るまで,象徴的で物語性に満ちた形態と光に特徴づけられる独自の建築を生み出しました。同時代の建築家とは明らかに異質で,かつ高度に完成された彼の作風は,一体どこから生まれたのでしょうか。多くの分析や批判が試みられましたが,謎は謎のまま残っています。20代後半ドイツに留学した白井は,1928年から33年のヨーロッパにあって独自の教養を身につけていきます。当時世界は全体主義への流れの中にあり,近代は輝かしいものではなくなっていました。ハイデルベルク大学のヤスパースの下やベルリン大学で白井が学んだドイツ哲学は,その近代を理解し対峙する手立てとなり,加えて幼時に体験した禅と書がその独自性を肉付けしました。壮年期に入って彼は,中国の書家,顔真卿(がんしんけい),黄庭堅(こうていけん),米(べいふつ)を本格的に学んで書と取り組んでいます。白井晟一とは何者だったのでしょう。その建築作品や書,装丁,エッセイ,あるいは建築家としての活動を近代日本の中でどのように位置づけるべきなのでしょうか。本展は彼が遺した様々な表現を星座のように布置し,その全貌に迫ります。
【略歴】
1905年京都生まれ。1928年京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科卒業。美学者の深田康算に薦められ同年ドイツ・ハイデルベルク大学へ留学,哲学を学ぶ。義兄で画家の近藤浩一路の渡仏を契機に、パリの知識人とも交流を深める。1933年に帰国以降,建築の道に入る。装丁家、書家としても優れた作品を多く遺している。著書にエッセイ集『無窓』等。1969年に日本建築学会賞受賞。1980年日本芸術院賞受賞。1983年78歳で逝去。
書もたしなんだ人なんですね!
是非、行ってみたいです。
来年の初頭の楽しみが増えました。
どうぞ、良い新年を迎えられますように!
>ロコさん
幼い頃中国の書に親しみヨーロッパで哲学を学んだ経歴が,彼の建築作品に有機的な深みを与えている気がします。
僕も早い時期に訪れてみたいと思います。
展覧会と同じタイトルで本も出版されています。こちらもオススメです。
ロコさんもよいお年を!