どこにも存在しない風景

どこにも存在しない風景

今年春に森美術館で見た『フレンチ・ウィンドウ展
雰囲気や環境を作品化するドミニック・ゴンザレス=フェルステル,近代建築の考古学をテーマとするシプリアン・ガイヤール,どこにもない都市や風景を創り出すニコラ・ムーランやタチアナ・トゥルヴェ,科学的超現実を提示するローラン・グラッソ・・・
Nicolas Moulinが描き出す「実在しない未来都市の廃墟」に僕はとても強く惹かれました。
それはまるで,コンペで敗れ実現することのなかった磯崎新設計の「幻の東京都庁中層案」のようであり,また映画『インセプション』の多層レイヤー構造の仮想世界とも重なります。
そして「逆未来学」という意味で,現在開催中の『メタボリズムの未来都市展』へも繋がっていきます。

インターネット技術の劇的な進展と交通環境の発達によって,その気になればどんな情報でも手に入り,どのような場所へも行ける現代。「自分」という存在のユビキタス性が高まることで,時空間の認識・・・特に都市的空間,さらにイメージを介した現実と虚構の関係性は明らかに変容してしまいました。今や自分たちのカラダと空間認識はネットワーク上に存在しているともいえます。そしてインターネット環境が「新しかった」時と比べると,表現方法におけるネット・テクノロジーの単なる使用はもはや新しいとはみなされなくなってしまいました。逆に,身体的な「生の感覚」を求めるパフォーマンスが再び注目されているのも,その文脈において当然と考えられます。メディア(手法)は特に問題ではないということです。
「無意識」や「イメージ」の現実空間への侵入も顕著です。WEB空間においては,物理的なレベルでは存在しないものを認識するという意味で,よりイメージ世界とリンクしていきます。人は「夢をみること」なしに生きられない動物です。それは眠っているとき見る夢だけではなく,覚醒中の日常生活において,無意識にあるイメージやある種の「詩」を夢みるということ。自分のファインダーを通じ世界を見ることは全ての人間が体験していることですが,このような自分なりの世界像を持てなければ,逆に生きていくのが厳しい世界になりつつあるのかもしれません。


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