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もう10年ほど前のこと。
ひとりの友人といつも長いメールのやりとりを続けていた。
交わす内容は音楽のこと,読んだ本のこと,仕事観や結婚観,果ては人生論まで。
自分は仕事が変わって何となく楽しいような侘びしいような頃。
友人は難関の試験に向けて最後の追い込みの時期だった。
まあお互いに変化と安泰の境目にいたわけだ。

年の始めに,フランスのジャズ・ピアニスト,ミシェル・ペトルチアーニが亡くなった。
ジャズファンであればご存知の方も多いかもしれないが,ペトルチアーニは骨形成不全症という先天的な疾患を抱えて生まれた。
ブルーノート東京でのライブ盤が大好きだった僕は,「ハンディキャップを抱えた身体であれほど力強い音を聴かせてくれるとは」「いつか生でライブを観たかった」そんな趣旨のメールを送った。
返信は,ひとこと「障害も個性だ」と。
彼が弾く音を素晴らしいと感じる。それだけで十分じゃないか。

短い言葉は,とても深いことを教えてくれた。

最近,ある個展会場で「Minority」について語り合っていて,ふと10年前のこの言葉を思い出した。
音楽でもアートでも「こだわりのモノ」を愛する人は自ずとマニアックで少数派のはず。
その一方で,ネット上においてSNSなど様々なツールが浸透すると共に僕たちの周りは膨大な量の同調であふれ返るようになってしまった。
この人と仲良くしておけば自分が何かやるとき役に立つだろう・・・
分野に関連はないけどとりあえず一緒に何かやろう・・・
僕は嫌だ。気持ち悪い。生理的に受け付けない。
それは繋がりではなくすり寄り,交流ではなく馴れ合いだ。

僕が尊敬する身近な人物は,blog上でよく反論コメントを書き込まれる。
「キミはそう言うけれど,ボクはこう思うよ」という意思表示。
正しい・誤りの単純な二元論に収まらず,そこから熱い意見の応酬が始まる。
議論の内容云々を超えて「真っ当な意志」を表明することの大切さ。
ただのイエスマン・宣伝マンではない「反対を表明する友人」を持つことの自然な姿。
そこがとても羨ましい。

僕自身もUnited Future Organizationが曲名に込めた「Loud Minority」であり続けたいと思う。